ヤーシの「東のスイス」構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:57 UTC 版)
「ドナウ連邦構想」の記事における「ヤーシの「東のスイス」構想」の解説
民主主義体制下で民族相となったヤーシが『ハンガリーの将来とドナウ合州国』の内容を実行に移そうとした時には、すでに諸民族は分離・独立を宣言してしまっていた。そのため、ハンガリーと外部の連邦ではなく、独立志向の異民族を多く抱えるハンガリー国内に構想を適用することを迫られた。そしてトランシルヴァニア地方の「ルーマニア人民族会議」との交渉で議題に上げられたのが、ヤーシの「東のスイス」構想である。その内容は次のようなものであった。 スイスの地方行政区画を例として、従来の県単位の行政組織を廃止し、民族的な行政的・文化的自治区を再構成することにより、少数民族地域の確立を保証する。その組織は、中央政府においても地域代表としての権限を有する。 過渡的措置として、ルーマニア人が多数を占める都市や村では、旧行政部門は維持されつつも、ルーマニア人民族会議に行政権が移譲される。ルーマニア人民族会議は、その地域においてハンガリー政府の代表(出先機関)ともなる。 トランシルヴァニア地方のルーマニア人たちは、この時期すでにルーマニア王国との接触を果たしており、完全な分離と主権獲得を望んでいた。あくまで歴史的な聖イシュトヴァーンの王冠の地の国家的統一を維持しようとするヤーシらハンガリー政府側とは相反する考え方であり、「ルーマニア人民族会議」との交渉は決裂せざるをえなかった。
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