ヤンキースの凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:55 UTC 版)
「1966年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ヤンキースの凋落」の解説
1964年まで絶対的な強さを誇ったニューヨーク・ヤンキースは、前年に40年ぶりに負け越して6位に転落し、そしてこの年はさらに1912年以来の最下位に転落した。シーズンが始まって20試合で4勝16敗の成績でせっかくカージナルスから引き抜いたジョニー・キーン監督を解任し、1961年から1963年までヤンキースを指揮したラルフ・ハルクを再び監督に戻したが、エースのホワイティ・フォードと主砲ミッキー・マントルの衰え、ジム・バウトン投手とロジャー・マリス外野手の故障、かつては代わりの選手を用意していたファーム・システムがあって、メジャーリーグ随一と言われた選手層の厚さを誇ったが、もはやそれも機能しなくなった。そして前年から始まった新人ドラフト制度で欲しいと思う選手を獲得することもなく、以前のように思うがままの戦力を確保することが不可能となっていた。この年のシーズン終了後にロジャー・マリスはカージナルスにトレードされた。MM砲の時代は短かった。
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