ヤニス・イヴァノフスとは? わかりやすく解説

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ヤニス・イヴァノフス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/07 15:41 UTC 版)

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ヤニス・イヴァノフス
生誕 (1906-10-09) 1906年10月9日
出身地 ロシア帝国、プレイリ
死没 (1983-03-27) 1983年3月27日(76歳没)
学歴 リガ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

ヤニス・イヴァノフスラトビア語: Jānis Ivanovs, ヤニス・アンドレーエヴィチ・イヴァノフ, ロシア語: Янис Андреевич Иванов, 1906年10月9日 - 1983年3月27日)は、ラトビアソビエト連邦作曲家

経歴

プレイリ出身。1931年までリガ音楽院でピアノ作曲を学び、1933年にはヤーセプス・ヴィートリスのマスタークラスに参加している。1931年よりラトビア放送のラジオ交響楽団で指揮をするようになり、1963年まで芸術監督を勤めた。1944年よりリガ音楽院の作曲科の講師となり、1955年には作曲と楽器法の教授となった。1950年ソビエト連邦国家賞を受賞し、1965年にはソ連人民芸術家の称号を得た。

ラトビアの民謡旋律を多く使用し、ラトビアで最も重要な作曲家とみなされている。様々な種類の作品を作曲したが、21曲の交響曲と交響的絵画「虹」、ピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲チェロ協奏曲が重要である。

文献

  • Грюнфельд Н., История латышской музыки. М., 1978.(グリュンフェリド N.『ラトビア音楽の歴史』モスクワ 1978年)
  • Хараджанян Р., Композиторы — ученики Язепа Витола. Сб. «Музыка Советской Латвии», Рига, 1988, с. 27-34 (о Я. Иванове).(ハラドジャニャン R.「作曲家:ヤーゼフ・ヴィートリスの学生」『ソ連邦ラトビアの音楽』リガ 1988年)

脚注





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