モ45・モ46
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 09:23 UTC 版)
前身は日本車輌製造が1925年(大正14年)に製造した美濃電DD63・DD62号。名鉄合併後、一時期蘇東線に転出していたこともあったが、遅くとも1944年(昭和19年)には岐阜市内線所属に戻っている。 全幅が若干広いことを以外は前期車(後のモ35形)に準じた車体構造を持つが、モ35形ほかの美濃電単車群は後に客用扉取付工事が実施されたのに対し、この2両は最後までオープンデッキ構造を維持した。 1954年(昭和29年)6月には窓ガラスと側面腰板を取り外して腰部を金網張りとし、座席を一人掛けビニールシートによるクロスシートに変更するなどの改造が施され、納涼電車として使用された。岐阜市内線の納涼電車にはモ30形改造の車両もあり、使用期間はモ30形改造車と同じ本年限りとされていたが、モ45形改造車はシーズン終了後も復元されず、翌年以降も納涼電車として使用された。1957年(昭和32年)10月に廃車となるが、廃車時まで納涼電車仕様のままであったと推定される。
※この「モ45・モ46」の解説は、「名鉄モ45形電車」の解説の一部です。
「モ45・モ46」を含む「名鉄モ45形電車」の記事については、「名鉄モ45形電車」の概要を参照ください。
- モ45・モ46のページへのリンク