モ47
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 09:23 UTC 版)
前身は名古屋電車製作所が1912年(明治45年)に製造した岡電1号。明治期の車両らしく側面腰板は二段羽目で乗降扉は無く、腰部が絞られた車体は岡崎市内線の戦後車両で最も小さかった。 戦後、正面窓下にあった前照灯を屋根上に移設し、1955年(昭和30年)年には集電装置がトロリーポールからビューゲルに交換された。このほか、段落屋根型のダブルルーフ形態だったものが端部で上段を丸めた大正期増備車(モ48・49と同型)と同じ構造に改造されていたほか、側板の二段羽目も鉄板で補強されていた。 1960年(昭和35年)8月の廃車まで岡崎市内線で運用された。廃車後は岡崎電気軌道の1号車という車歴が評価され、トロリーポールに交換して1961年(昭和36年)春に犬山ラインパーク(現・日本モンキーパーク)で開催された「交通科学フェア」の展示車両となった。フェア終了後、ともに展示された尾西鉄道1号機、蒸気機関車12号機、蒸気動車6401号は博物館明治村へ移設されたが、モ47は移設されずそのままラインパークで展示され、数年後には解体された。
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