メッシーナ地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:07 UTC 版)
「レッジョ・ディ・カラブリア」の記事における「メッシーナ地震」の解説
詳細は「メッシーナ地震」を参照 1908年12月28日午前5時21分、レッジョは大地震に見舞われた。近代西ヨーロッパにおける最悪の地震として記録されているメッシーナ地震である。 レッジョの震度は改正メルカリ震度で X - XI と推定され、揺れは31秒にわたって続いた。壊滅的な地震から逃れ、海岸の空き地に避難した人々は、地震発生から10分後に到達した津波にのみこまれることになった。 6–12m の津波は三波にわたって市街を襲い、沿岸部は壊滅した。海峡を越えたメッシーナで犠牲者6万5000人(住民の42%)を出したことで知られる地震であるが、レッジョでも2万5000人(住民の27%)とされる膨大な犠牲者を出した(なお、この地震の犠牲者数については諸説ある)。 地震後、市街は近代的な水準での再建が行われた。1911年に Pietro De Nava は直線道路が直交する都市計画を立て、現在の都市のレイアウトを生み出している。一方、都市計画には歴史的建築の保護という観点を重視しておらず、旧市街地にあったノルマン人の城の最後に残された一角が1923年に解体されている。
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