メソジスト・ウェスレー派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 01:38 UTC 版)
「自由主義神学」の記事における「メソジスト・ウェスレー派」の解説
テイラー、リチャード監修「ウエスレアン神学事典」によれば、「自由主義は近代主義と同義語である。保守的、伝統的なキリスト教の教えと対照的に、その信念は聖書的と言うより理性的で、人間主義的である。」とされる。批判の文書で「理性的」また、「人間主義的」とされる場合、それは推奨される意味合いにおいて、そのように言われているのではない。 「理性的」における「理性」とは、啓蒙主義における神なき、自立した理性で、それゆえ限界を有しているとの理解が背後にある。聖書によれば「かえってその思いは空しくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かなものとなり、」(ローマ1:21、22)と言われる「心」に相当する。ウエスレーの四辺形の項目を参照のこと。 「人間主義的」においても、ここ意味される「人間」は、福音主義の立場から言えば、すべての人は神の御前に罪人であるので、罪・自己中心に傾き易い性質を有した人と言う意味で用いられている。
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