メソジスト巡回伝道者時代(1898-1900)
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「中田重治」の記事における「メソジスト巡回伝道者時代(1898-1900)」の解説
帰郷後、早速松江のバークレー・バックストンを訪ねた。高雅で風采な態度に自分に欠けたものを見出し親しむようになった。翌年、1899年にメソジスト教会年会での巡回伝道者に任命される。しかし、教派にとらわれないで日本中に招かれて説教をした、1898年、バックストンに招かれて松江に行き、望湖楼という料理屋で伝道会で説教をしている時に、駆けつけた笹尾鉄三郎に会う。敬虔な姿を見て笹尾だと直感して、第二集会の恵の座に出てくる人の個人伝道を依頼した。 巡回伝道で多忙であった重治はトラホームに苦しんだが、信仰によって癒された。1899年正月には銀座教会で第一回の新年聖会を開いたところ好評であったので、以後各地で新年聖会を開催した。 その時、東京府青山長者丸の青山美以教会 の牧師館を借りて住むことになった。1899年10月には弘前で伝道した。弘前での伝道は爆発的伝道と言われた。11月盛岡の集会では、中田の説教を聞いた野辺地天馬が献身を決意する。
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