メイフラワー号の来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 18:51 UTC 版)
「メイフラワー号」の記事における「メイフラワー号の来歴」の解説
メイフラワー号は主に貨物船として、ヨーロッパ各国(主にフランスだが、他にノルウェー、ドイツ、スペイン)とイングランドの間で貨物(主にワイン)を運んでいた。少なくとも1609年から1622年まではクリストファー・ジョーンズ (en) 船長が指揮しており、有名な大西洋横断航海も彼が指揮した。母港はロンドンのロザーハイズ (en)。有名な航海からイングランドに戻った後、1622年3月にジョーンズが死去し、その1年後の1623年にはロザーハイズで解体された。その廃材を使ってバッキンガムシャーのジョーダンズというクエーカーの村のそばに Mayflower Barn が建てられたとも言われているが、疑わしい。 船の寸法の詳細は不明だが、重量が180トンだということと、当時の商船の典型的な大きさから、全長約90-110フィート(27.4-33.5m)、全幅約25フィート(7.6m)と見積もられている。 乗組員は25名から30名だったが、ピルグリムの1人でもあったジョン・アルデンも含めて5人しか名前がわかっていない。ウィリアム・ブラッドフォードによるメイフラワー号の航海の唯一の記録によれば、サウサンプトンで樽職人をしていたジョン・アルデンはメイフラワー号が補給のためにサウサンプトンに寄港した際に雇われた。希望と野心に満ちた若者で、アメリカ到着後はそのまま残るか、メイフラワー号と共にイングランドに戻るかは本人の自由だったが、残って結婚した。
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