ムー大陸発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/04 07:36 UTC 版)
「ジェームズ・チャーチワード」の記事における「ムー大陸発見」の解説
父ウィリアム・チャーチワードが1890年に『ブルックリン・タイムズ』土曜版に沈んだ大陸についての投稿をしたとされ、ジェームズ・チャーチワードは父の遺志を継いだという。1868年にチャーチワードは、インド(又はチベット、ミャンマー)でイギリス陸軍に所属していた際、寺院の僧にナーカルと呼ばれる絵文字のある粘土板を見せられたという。1880年にイギリス陸軍大佐で退役し、この絵文字を解読したところ、ムー大陸(表記・発音はMOO)の聖なる霊感の書であったという。友人のウィリアム・ニーヴンがメキシコで発見した石板を見せられた際にナーカルと同じ絵文字があったことがムー大陸の著作をするきっかけとなったという。絵文字はマヤのトロアノ絵写本、チベットのラサ記録に記載されていたという。 ちなみにムー大陸の語源となったムーとは、チャーチワードが解読したとするナーカル文字に「ムー」という解読不能な言葉が繰り返されることから命名されたもので、「ムー大陸」という大陸があったという意味ではない。おそらく英語の「THE」のようなものと解釈される。また、ムー大陸の証拠とされるイースター島のモアイ像などがあるとされている。 ムー大陸が存在したと主張し、仮説というよりまるで見てきたように詳細に述べたチャーチワードの著作は、後に続く多くの類書の母型になった。
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