ミズーリ=カンザス州界戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 02:28 UTC 版)
「ジョセフ・シェルビー」の記事における「ミズーリ=カンザス州界戦争」の解説
「血を流すカンザス」最中の1850年代中頃、シェルビーは奴隷制支持を掲げたブルー・ロッジ(Blue Lodge)なるグループをウェイブリーにて立ち上げると共に、ボーダー・ラフィアンズ(英語版)の一団を率いていた。シェルビーによるカンザスに対する最初の政治的関与は、準州議会選挙最中の1855年3月30日にローレンスで行われた。この選挙では、カンザスでの居住実態がないミズーリ州民による不正投票が横行していた。彼らからの脅迫に晒された選挙管理当局が、居住宣誓の確認を取りやめたためである。また、シェルビーやミズーリ州民のグループは、奴隷制廃止派に対する嫌がらせを繰り返していたが、これを妨げようとする者はほとんどいなかったという。 州界戦争におけるこうした振る舞いは、彼の事業の評判を毀損するだけではなく、義理の兄弟だったヘンリー・ハワード・グラッツ(Henry Howard Gratz)との決別に繋がった。1855年、新設したばかりの製材所が全焼し、現場には放火を示唆する証拠が残されていた。この製材所は保険を掛けられていなかったため、シェルビーは9,000ドルを超える損失を被った。グラッツは故郷レキシントンへと戻り、シェルビーは1860年2月に事業を競売に掛けた。
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