マーク・ダナヒュー(アメリカ)
1960年代のアメリカンヒーローのひとり。ピーター・レブソンと同時期に活躍し、相次いでレーシングカーを操縦中にトラブルでクラッシュ、世を去った。レブソンが資産家のファミリーとして生まれたのに対して、ダナヒューは特許代理人の家庭に生まれ、大学で工学を学んだ。卒業後、マイナーなレースを愉しんでいるうちにウオルト・ハンスゲンに見出され、彼が事故死のあとにロジャー・ペンスキーのチームに招かれる。ダナヒューは以後、ドライバーとしてだけでなく、エンジニアとしてマシンの改良面でもペンスキーとともに歩んだ。そしてチームのスポンサーであったSUNOCOのブルーに黄色のピンストライプをあしらったボディが彼のユニフォームの如くなった。このペンスキー、スノコ、ダナヒューが制覇したレースは、カンナム・レースからトランザム・レース、インディ500(1972年に優勝)と広範囲におよんでいる。73年末にいったん引退したが、75年のペンスキーF1チームのドライバーとして復帰、オーストリアGPのプラクティスで事故死した。
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