マルシャ
マルシャ・モーターズ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 08:32 UTC 版)
略称 | マルシャ |
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本社所在地 | ![]() モスクワ |
設立 | 2007年 |
業種 | 自動車産業 |
代表者 | ニコライ・フォメンコ(社長) アンドレイ・チェグラコフ エフィム・オストロフスキー |
主要子会社 | ヴァージン・レーシング |
外部リンク | http://www.marussiamotors.ru |
マルシャ・モーターズ(ロシア語: «Маруся Моторс»、英語: Marussia Moters、マルシア・モーターズとも)は、ロシアのスポーツカーメーカー。
沿革

2007年に元レーサーでTVタレントのニコライ・フォメンコが、起業家アンドレイ・チェグラコフ、エフィム・オストロフスキーらと共に設立。「マルシャ」ブランドでのスポーツカーの製造・販売などを手掛け、2008年12月にソ連・ロシアを通じて初のスーパーカーとなるマルシャ・B1を、2009年にマルシャ・B2を発表した。2010年5月にはモスクワでSUVのマルシャ・F2を発表した[1]。
2014年4月、自動車事業の廃止を表明。後述するF1チームの所有権も別会社に移すこととなった[2]。
F1

2010年シーズンはF1チームであるヴァージン・レーシングのスポンサーとなり、その年の11月にはヴァージン・レーシングの株式を過半数取得し、F1チームを所有するようになった[3]。
2011年シーズンはコンストラクターとしては「ヴァージン」のまま、チーム名のみ変更し「マルシャ・ヴァージン・レーシング」としてF1に参入した。また、チーム国籍はロシアに変更した。
2012年シーズンからはチーム名を「マルシャF1チーム」、そしてコンストラクターも「マルシャ」へと変更し、完全なマルシャのF1チームとして参戦。
車種一覧
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マルシャ・B1
2008年に発表されたソ連・ロシアの自動車メーカー初のスーパーカー[4]。 -
マルシャ・B2
2009年フランクフルトモーターショーで公開された。B1とは外装・内装が異なる。
脚注
- ^ “MARUSSIA MOTORS HISTORY”. 2011年10月13日閲覧。
- ^ “マルシャ・モーターズ、F1チームの所有権を手放す”. F1-gate (F1-gate.com). (2014年4月9日) 2014年4月10日閲覧。
- ^ “ヴァージン、マルシャへの株式売却を正式発表”. F1-Gate.com. (2010年11月11日) 2013年4月2日閲覧。
- ^ “ロシア初のスーパーカー、マルシャが生産開始…0-100km/hは3.2秒”. レスポンス. (201-09-17) 2011年10月13日閲覧。
- ^ “ロシアのスーパーカーメーカー、こんどは装甲車のようなSUV”. レスポンス. (2010年5月15日) 2011年10月13日閲覧。
外部リンク
- (英語)マルシャ・モーターズ
マルシャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 23:16 UTC 版)
2012年もマルシャF1チーム(ヴァージン・レーシングの後継チーム)に残留することが発表された。チームメイトはシャルル・ピック。昨年に引き続き、戦闘力の低いマシンに苦労するも、第14戦シンガポールGPで12位完走を果たしたことで、その時点でマルシャをコンストラクターズ選手権で10位に押し上げた。この結果は、同チームにとって1000万ユーロ(約10億円)と同等の価値があるとされていたが、最終戦のブラジルGPで、ケータハムのヴィタリー・ペトロフが11位完走を果たしたことで、最終的には、マルシャはコンストラクターズ選手権11位、自身はドライバーズ選手権20位で2012年シーズンを終えた。 マルシャとは2011年のマルシャ・ヴァージンレーシング時に2014年までの契約を結んでいたが、2013年シーズン前にチームとドライバー双方の合意のもと契約が解除された。チームからのコメントにより、今回の件はチームの資金が苦しい故の決定であることが示唆された。
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