マルコス政権下の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:01 UTC 版)
「フィリピン熱帯医学研究所」の記事における「マルコス政権下の問題」の解説
「エディフィス・コンプレックス」および「マルコス疑惑」も参照 マルコス政権時代を通じて、RITMの継続的な運営は日本政府の資金に大きく依存している。1981年から1984年までJICAが約100万米ドル(約1万ペソ)を提供し、さらにRITMの実験動物ラボが設立された1985年には320万ペソの設備を提供している。一方、行政の予算では、1981年から1985年まで年平均約700万ペソがRITMに割り当てられ、主に基本的な運営費と人件費に充てられていた。また、当初は「フィリピン日本熱帯病研究所(Philippine Japan Research Institute for Tropical Diseases)」という名称が提案されていた。 戒厳令時代には地下出版物で批判された。研究所の研究成果がフィリピン国内で発表されず、代わりにJICAに提出されて助成金の要件を満たすだけだったからだ。研究対象者の大半は研究患者で、フィリピンの医療制度は基本的な医療サービスを満たすことが圧倒的に必要だった。 この研究所は、政権の「エディフィス・コンプレックス(Edifice complex)」と呼ばれる、政権の成果を印象的に示すために作られた宣伝プロジェクトと関連づけられるようになったが、当時の実際の開発効果には疑問が残るものであった。多くの複合施設プロジェクトと同様、RITMはマニラにしかなく、フィリピン諸島の他の地域からの市民がアクセスすることは制限されていた。
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