マペット・ショーとその後の成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 09:02 UTC 版)
「マペット」の記事における「マペット・ショーとその後の成功」の解説
セサミストリートの大成功はヘンソンにとって喜ぶべきもののはずだったが、大人向けの人形劇を作りたいという当初の目的とは異なったものであった。そのためセサミストリートのようにマペットを主役に置きながらも、子供の教育番組ではなく純粋にコメディを追求し、より広い年齢層をターゲットにしたテレビ番組の製作に取り掛かる。1974年、マペットの新たなテレビシリーズのパイロット版がABCで放映されるものの、ABCを含めアメリカの大手テレビ会社はこの作品に興味を示さず、十分な資金調達が出来なくなってしまった。しかし英国のルー・グレード卿の番組製作会社ITCの協力の元で製作することが出来、始まった『マペット・ショー』は大きな人気を博した。 主役にこそ『サムと友達』や『セサミストリート』に既に登場しているカーミットをおいたものの、他の著名なキャラクターであるミス・ピギー、フォジー・ベア、ゴンゾなどはこの作品が初登場であり、特徴的なキャラクター性により一躍人気者となった。この斬新なスケッチ・コメディー型の番組は1981年まで続き、それまでの間にエミー賞に21回もノミネートされ、バラエティ部門などを受賞した。また1979年には初の映画作品となる『マペットの夢みるハリウッド』 が公開されマペット・ショーの終了後も立て続けに映画作品が公開された。 1980年代後半ごろからジム・ヘンソンはウォルト・ディズニー・カンパニーのマイケル・アイズナーと共に、マペットの権利の売却についての交渉を始める。ディズニーは1億5000万ドルでの会社買収を検討しており、当初はセサミストリートのキャラクターの権利も含めたがっていたが、ヘンソンはそれを拒否した。またそれと同時にマペットのアトラクションをディズニーパークに作る計画も為されていた。 ところが1990年にヘンソンが死去すると、マペットの権利買収の話は頓挫する。しかしアトラクション建設は無事に進み、1991年に「マペットビジョン3D」がディズニー・ハリウッド・スタジオ(当時ディズニー・MGM・スタジオ)にオープンした。またディズニーは映画作品に関しても、製作協力という形で関り、テレビシリーズの『マペット放送局』が当時ディズニー傘下となったばかりのABCで放映された。
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