マノスハジダキスとは? わかりやすく解説

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マノス・ハジダキス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/14 02:14 UTC 版)

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マノス・ハジダキス
Manos Hatzidakis / Manos Hadjidakis
生誕 (1925-10-23) 1925年10月23日
出身地 ギリシャクサンティ
死没 (1994-06-15) 1994年6月15日(68歳没)
ジャンル ポップス、映画音楽
職業 作曲家、ソングライター
公式サイト https://www.hadjidakis.gr/

マノス・ハジダキスManos Hatzidakis / Manos Hadjidakis, ギリシア語: Μάνος Χατζιδάκις1925年10月23日 - 1994年6月15日)は、ギリシャ作曲家ソングライターミキス・テオドラキスと並ぶギリシャの国民的作曲家と称されている[1][2][3]

来歴

クサンティ出身[2][3][4][5]。ほぼ独学で作詞・作曲を身に付け、1950年代からポピュラーソングを多数制作、ナナ・ムスクーリメリナ・メルクーリ、ジェニー・カレッティなどに提供し大ヒットさせ、ギリシャのポピュラーソング「レベティコ」の振興に努めた[6][7]

1960年の映画『日曜はダメよ』の音楽・主題歌を担当、世界的に大ヒットし、第33回アカデミー歌曲賞を受賞[8]、世界的に知られるようになる[5]。その後は、1966年から1972年までアメリカを拠点に活動した後に帰国、アテネ国立オペラの副総監督、ラジオ番組の製作責任者、アテネ国立管弦楽団の終身総監督等を歴任した。

1994年6月15日肺水腫のため死去、68歳[5]

主なディスコグラフィー

ポピュラーソング

映画音楽

その他

  • 夢の道 Οδός Ονείρων (1962) ミュージカル
  • イリヤ・ダーリン Illya Darling (1967) - 映画『日曜はダメよ』のミュージカル版。

脚注

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