マドリード市議会議員(1983-1996)
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「エスペランサ・アギーレ」の記事における「マドリード市議会議員(1983-1996)」の解説
アギーレは小規模なリベラル連合のメンバーであり、現存しない国民連合(スペイン語版)(CP)からマドリード市議会議員に選出された。1983年から1986年、国民連合のメンバーとしてマドリード市議会議員を務めた。市議会の常任委員会のメンバーであり、文化・教育・青年・スポーツ省の管轄範囲やモンクロア地区における国民連合のスポークスウーマンだった。1984年12月にリベラル連合がリベラル党と合併すると、ホセ・セグラドのリベラル党の全国執行部や政治評議会の様々な役職に就いた。 1987年にリベラル党を離れ、後に国民党(PP)となる国民同盟(AP)に加入した。市議会議員に再選され、1989年まで野党の座にいた。スペイン社会労働党(PSOE)のフアン・バランコ市長を不信任投票で追い出すことに成功し、1977年の民主化後初めて国民党と民主社会中道(スペイン語版)がマドリードの政権を得ることに成功した。新政府では環境部のトップに任命された。1991年にはホセ・マリーア・アルバレス・デル・マンサーノ(スペイン語版)の下で国民党がマドリード市議会議員選挙に勝利し、アギーレは再び環境部のトップに任命された。2年後には文化部のトップに指名され、スポーツ・教育・衛生の分野を指揮した。1995年にはマドリード市議会国民党会派のスポークスウーマンとなった。
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