マクセンの戦いの意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/10 01:04 UTC 版)
「マクセンの戦い」の記事における「マクセンの戦いの意義」の解説
以後の戦況に大きな影響こそ及ぼさなかったものの、「マクセンにおけるフィンクの捕縛」はダウン元帥の名声を高めることとなった。双方の主力軍はドレスデンの周辺で冬営に入る。このマクセンの戦いで特徴的なのは、戦闘の間にプロイセン軍歩兵の半数が脱走した事実である。この悪質な離脱行為には何よりも、低下したプロイセン軍の士気に原因があった。数か月後のランデスフートの戦いもよく似た推移を辿るが、プロイセン軍は全ての銃弾を打ち尽くすまで戦い抜き、騎兵が包囲の突破に成功したため、結果はマクセンの戦いの方が遥かに悲惨である。フリードリヒ大王は、フィンクの降伏を決して許さなかった。 …プロイセンの軍団が銃を敵の前で投げ打つとは、全く前代未聞のひどい話である… そして1年後、手紙にこう書いている。 我々が敗れるのであれば、その破滅はマクセンにおける恥ずべき冒険の日から続いているものと見なさねばならない …
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