ポーランド第二共和国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:09 UTC 版)
「日本とポーランドの関係」の記事における「ポーランド第二共和国時代」の解説
ロシア革命、ドイツ革命の混乱期、ポーランド第二共和国の元首は独裁的なユゼフ・ピウスツキとなった。1919年には第一次世界大戦が終結し、同年7月には、ワルシャワ大学に初めてボクダン・リヒテルにより日本語講座が開設された。 「在日ポーランド人」も参照 1920年、日本政府・日本赤十字社はウラジオストクから765人のポーランド人シベリア孤児を救済している。 1922年に皇族摂政となった昭和天皇は台湾事業公債、関東州事業公債を発行するとともに、ポーランドとの間に日本国波蘭国間通商航海条約を締結し、物資の輸入に務めた。日波協会(代表・志摩亮平)も組織されていた。 ポーランドより日本へ輸入日本よりポーランドへ輸出1924年(大正13年) 71,337 1,564 1928年(昭和3年) 8,235,952 11,835 ※単位は円。※輸入の数字には、ドイツ商品として扱われていた亜鉛板、レール、鉄板、鉄管を含まない(150,000円相当)。
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