ポーランド系住民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 15:00 UTC 版)
「ビドゴシチ住民殺害事件」の記事における「ポーランド系住民」の解説
開戦からおよそ1週間のうちに531の街や村が放火され焼き尽くされた。この間、軍や警察などに属するドイツの様々な部隊が714箇所で16,376人のポーランド人を殺害したとされている。殺害されたポーランド人のほとんどはキリスト教徒(非ユダヤ教徒)であった。この戦争犯罪行為のうち6割は国防軍によって行われた。その他、タンネンベルク作戦のような計画的な大量虐殺が行われ、無差別爆撃(ワルシャワやウッチの大空襲が有名)、激しい砲撃、無差別な機銃掃射によって多くの民間人が殺害された。 ポーランド侵攻の期間において特筆すべきは、ドイツ系住民によって組織され、ポーランド全土で無秩序な残虐行為を犯したとして悪名高い自衛団(Selbstschutz)の破壊活動によるポーランド人犠牲者も多数にのぼることである。自衛団はその目に余るほどの残虐行為がかえってナチス・ドイツのポーランド占領政策の利益に反すると考えられるようになり、ポーランド侵攻作戦の終了して間もない1939年11月26日に当局によって解散が命じられた。翌年春までにすべての自衛団組織は解散させられた。 ポーランド侵攻作戦が終了する1939年10月初旬までの期間におけるポーランド系ポーランド人民間人の犠牲者数は150,000人に上ると見積もられている。
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