ボーマルシェの戯曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 06:46 UTC 版)
「フィガロの結婚」の記事における「ボーマルシェの戯曲」の解説
戯曲は喜劇『セビリアの理髪師』(第1部 1775年 / パイジエッロ(1782年)、ロッシーニ(1816年)がオペラ化した)、正劇『罪ある母』(第3部 1792年 / ミヨー(1964年)がオペラ化)とともに「フィガロ三部作」と呼ばれている。『フィガロの結婚』は前作『セビリアの理髪師』の好評を受けての続編で、正式な題名は『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚』(La Folle journée, ou le Mariage de Figaro)。この戯曲は1784年にパリで初演され、前作以上の評判を得た。 封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて、貴族を痛烈に批判しており、たびたび上演禁止に遭った。特にルイ16世は「これの上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂したという。だが、この戯曲に魅せられた人々からの強い要請を無視できず、公演許可を出すに至った。このような危険な作品をオペラ化し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお膝元ウィーンで上演できた理由は不明だが、ダ・ポンテの自伝によれば、彼がうまく皇帝を懐柔して許可を得たことになっている。
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