ボパール事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 01:01 UTC 版)
詳細は「ボパール化学工場事故」を参照 1984年12月3日午前0時過ぎ、インドのボパールにあった同社現地法人の、農薬と殺虫剤製造を主とするアジア最大規模の工場で、約40tにも及ぶ有毒のイソシアン酸メチル (MIC) が漏出し、数日以内に死者3,000人以上、重軽傷者150,000人以上を出すという、史上最悪の大惨事となった化学工場の事故。その後、現在に至るまでさらに16,000人以上がMIC中毒により死亡し、500,000人以上が今なお後遺症に苦しむ。 この事故の訴訟では、当時のCEOであったウォーレン・アンダーソン(英語版)が米国へ逃亡し、法廷での審理を欠席したため、ボパール最高裁判長によって1992年2月1日に逃亡犯として宣告された。しかし、米国とは犯罪人引渡し条約を締結しているにもかかわらず、米国側はアンダーソンの身柄引渡しを拒否。米国や同社のこのような対応により、この頃から、事故ではなく事件へと発展する。 その後、逃亡中とされていたアンダーソンは、2002年に英国の新聞社による独自調査でニューヨーク州ロングアイランドのブリッジハンプトンに自宅を構えて居住しているところを発見された。その後、2014年にフロリダ州で亡くなった。
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