ボスク・ボニータ牧場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 06:16 UTC 版)
「エイブラハム・ビュフォード」の記事における「ボスク・ボニータ牧場」の解説
ビュフォードはそのウッドフォード郡の牧場をボスク・ボニータ(美しい森)牧場と名付けた。そこはニューヨーク・タイムズに「ブルーグラス地域の最高君臨者かのような住い」と評される景観の地で、後にバーデンバーデンに騎乗して1877年のケンタッキーダービーに優勝するビリー・ウォーカーが、1860年に奴隷として生まれたのもここであった。 1852年から同牧場で繋養していたソブリンは種牡馬として成功し、その血統を広げるに至っている。翌年、ビュフォードはリチャード・テン・ブロエック、ウィラ・ビリー大尉およびジュニアス・R・ウォードとシンジケートを結成し、当時3歳馬であったレキシントンを購入した。レキシントンはその後競走馬としても活躍し、1856年に引退して種牡馬となっている。後の1858年、レキシントンはウッドバーン・スタッドのロバート・A・アレクサンダーに15,000ドルで売却されたが、これはアメリカの競走馬としては当時の最高額であったが、その後レキシントンはその取引額に見合う種牡馬成績を残している。 ビュフォードはまた生産者としても成功し、ネリーグレイやエンクワイア、クロスランドおよびヴァーセイルズといった多くの成功生産および所有していた。後に「サラブレッド・ヘリテージ」において「繁殖の歴史の中で最も影響力あるアメリカの雌馬の1頭」と評されるマニーグレイはビュフォードが所有馬であったが、後にこれを仲間のケンタッキー人であるディキシアナファームのバラク・トーマス少佐に売っており、同馬の繁殖牝馬としての評価はトーマスの牧場に繋養されてからのものであった。1866年にリーミントンの新しい所有者であったカナダ人のロードリック・W・キャメロンが、そのシーズンの種馬としてリーミントンをボスク・ボニータ牧場に送ってきている。ビュフォードはその年13頭の雌馬にリーミントンを種付けし、アンナメイスやエンクワイア、ロングフェロー、リンチバーグ、リトルトンおよびミスアリスなどの優秀な仔馬を得ている。 1875年、ジョージ・アームストロング・カスター将軍がボスク・ボニータ牧場に来て、リトルビッグホーンの戦い前に騎兵用新馬を購入して行った。
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