ホーンビィ・デュブロ : 1938 - 1963
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1938年、直流三線式のOOゲージ鉄道模型を「ホーンビィ・デュブロ」 (Hornby-DublO 、DublO = OOの英語読みのもじり) のブランド名で発売した。機関車やストラクチャーはダイカスト成形の亜鉛合金製で、貨車や客車はプレス加工されたブリキ製であった。同社はOOゲージを直流12ボルト・三線式を標準として計画し、イギリスにおいて展開した。その後急速に規模を拡大させるも、1940年以降は第二次世界大戦の影響で規模は縮小され、1942年には製造が中断された。 戦後、製造は再開されたが1948年までは全てを再開できなかった。その後、バゼットロークやエクスレイ、ライオネルやアメリカンフライヤーのように繁栄したものの、1950年代後半にはトライアング・レールウェイズ (Tri-ang Railways) などのライバルが現れたため苦境に立たされた。また、プラスチック製品の製造が遅れたのも影響した。1959年にそれまでの直流三線式に加えて、直流二線式の製品を、プラスチック製客車「the Super Detail series 」と共に発売したものの、ライバル会社と比べシステムは複雑になってしまった。プラスチック製客車シリーズは好調で、1960年にはフランス向けとして直流二線式HOゲージが「ホーンビィ・アショオ」 (HOrnby-acHO 、acHO = HOのフランス語読みのもじり) のブランド名で展開されはじめた。ホーンビィ・アショオはフランス工場で製造された。 1963年に経営危機が発生してイギリスでは新製品が発売されなくなった。
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