ベレリアンドにおけるフィンゴルフィン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 15:26 UTC 版)
「フィンゴルフィン」の記事における「ベレリアンドにおけるフィンゴルフィン」の解説
フィンゴルフィンがベレリアンドに上陸するとまもなく太陽が昇り、それを恐れたモルゴス軍はアングバンドに退いた。かれはアングバンドの門に来てそれを打ち叩いたが、モルゴスは応じなかった。フィンゴルフィンは退き、ミスリム湖の北岸のヒスルムから統治した。 フェアノールはすでになく、その長子のマイズロスはサンゴロドリムの絶壁に手かせをもって吊るされた。マウズロスの友人だったフィンゴンは、両家の分裂を癒すべく単身サンゴロドリムを登り、これを救出した。ノルドールはみなフィンゴンの行ないを賞賛した。またマイズロスは回復するとアラマンでの裏切りを謝罪し、フィンウェ王家の王権をフィンゴルフィンに明け渡したため、両家の親和はすすんだ。 人間が青の山脈を越えてベレリアンドに到達すると、フィンゴルフィンは使者を送ってこれを歓迎したため、多くの若者がノルドールの諸侯に仕えた。マラハの族の族長の息子アラダンはフィンゴルフィンに仕え、かれの民の多くはヒスルムに移り住んだ。フィンゴルフィンはアラダンの曾孫ハドルをドル=ローミンの領主とした。 ダゴール・アグラレブでオークを打ち負かした後、フィンゴルフィンは四百年近くアングバンドの包囲を維持した。しかし包囲はダゴール・ブラゴルラハにおけるモルゴスの突然の襲撃で終了し、多くのベレリアンドの民が逃亡した。ノルドールが滅亡したと信じたフィンゴルフィンは、単騎でアングバンドに乗り込んでモルゴスに戦いを挑み、モルゴスに七度かれの剣リンギルで傷を負わせる並外れた決闘の末死んだ。モルゴスはかれの首に左足を乗せてとどめを刺したが、その足をフィンゴルフィンは深く切りつけた。このためモルゴスは絶えない痛みを得て、つねに足をひきずることとなった。鷲の王ソロンドールはかれの身体をモルゴスから奪い、ゴンドリンを見渡す山頂へ運んだ。トゥアゴンは、かれの父の遺体の上に石塚を築いた。 そしてフィンゴンが、ノルドールの上級王になった。
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