ベニグノ・アキノの妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:49 UTC 版)
「コラソン・アキノ」の記事における「ベニグノ・アキノの妻」の解説
1954年10月にベニグノ・アキノ・ジュニアと結婚した。夫のベニグノ・アキノ・ジュニアはその後州知事から上院議員となったが、マルコス大統領と対立し、1980年にアメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨークへ亡命した。 1983年8月21日にマルコス大統領の独裁打倒のために帰国したところをマニラ国際空港で暗殺(英語版)され、これを機に妻のコラソン・アキノが急速に反マルコス独裁の象徴となっていった。 1985年11月にアメリカのテレビ放送のインタビューで、マルコスが政権の正当性と権威に対する疑問を払拭するために1986年2月の繰り上げ大統領選挙を実施することを突如発表したことは世界を驚愕させた。最初はアキノは大統領選挙に立候補することに消極的だったが、100万人の署名が集まり、人々の叫びに耳を傾けることを説得された。当初は協力を拒んでいた亡き夫の親友で野党実力者のサルバドール・ラウレル(後のアキノ政権の副大統領)と共闘して、マルコスに対抗することも決まった。
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