ベイリャル家 (1292年 - 1296年)
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マーガレットが死去するとスコットランドは後継者不在による2年間の空位期間を迎えた。マーガレットの死でウィリアム1世の血は絶え、また長子相続制による明白な後継者もいなかった。13人の候補者が存在したが、その中で最も有力だったのが、ウィリアム1世の弟であるハンティンドン伯デイヴィッドの曾孫であるジョン・ベイリャルと、同じく孫であるアナンデール男爵ロバート・ド・ブルースであった。スコットランドの有力者たちは、仲裁を求めてイングランド王 エドワード1世を招聘した。エドワード1世はこれに応じたが、彼等をして自身への忠誠を強要した。最終的にジョン・ベイリャルが王となるべきことと決定したが、彼は弱く無能であることが明らかとなり、1296年にエドワード1世によって王位を放棄させられた。エドワード1世は、イングランドによるスコットランドの併合を目論んでいたのである。 名前肖像画誕生結婚死去王朝における出自ジョン・ベイリャルToom Tabard ("中身のない外套王")(Iain Balliol)1292年–1296年 1249年頃 イザベル・ド・ワーレン1281年2月9日少なくとも1人の息子を儲ける 1314年11月25日 フランス、ピカルディ ハンティンドン伯デイヴィッド(ウィリアム1世の弟)の曾孫
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