アレグザンダー1世 (スコットランド王)とは? わかりやすく解説

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アレグザンダー1世 (スコットランド王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 17:24 UTC 版)

アレグザンダー1世
Alexander I
スコットランド王
在位 1107年 - 1124年

出生 1078年
スコットランド王国ダンファームリン
死去 1124年4月23日
スコットランド王国スターリング
埋葬 スコットランド王国、ダンファームリン・アビー
子女 シビラ・オブ・イングランド
家名 アサル家
王朝 アサル朝
父親 マルカム3世
母親 マーガレット
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アレグザンダー1世英語Alexander I, ゲール語Alaxandair mac Maíl Coluim, 1078年 - 1124年4月23日)は、スコットランド(在位:1107年 - 1124年)。マルカム3世と王妃マーガレットの四男[1](または五男[2])。ダンカン2世の異母弟、エドワード、エドマンドエドガーエゼルレッド英語版の同母弟、イーディス(マティルダ)、メアリー英語版デイヴィッド1世の同母兄に当たる。獰猛王(Fierce)の渾名を持つ。

生涯

兄エドガーの跡を継いで王となったアレグザンダー1世は、その遺言通りスコットランドの中部と北部のみを直接統治し、弟のデイヴィッド(後のデイヴィッド1世)には南部を統治させ、その他の地域は領主に任せきりであった。しかし、1115年ごろに起きた北部のマリや西部のマーンズでの反乱には徹底的な討伐を行い、その過酷さから獰猛王と呼ばれることになった[3]

アレグザンダー1世はイングランドヘンリー1世の庶子シビラを王妃とし、イングランドとの関係を深めていった。アレグザンダー1世の妹マティルダがすでにヘンリー1世に嫁いでおり、アレグザンダー1世はヘンリー1世の義兄であるとともに婿という関係にあった[2][4][5]

アレグザンダー1世は宗教の面でもイングランド色を強め、キリスト教の影響力がさらに強まっていった。当時スコットランドはイングランド北部のヨーク大司教の管轄にあったが、ローマ教皇にこうした状況を改めるように請願し、セント・アンドリューズ司教を独自に招致したりした[5][6]

1124年4月23日、アレグザンダー1世はスターリングで没した。前年の1123年フォース湾へ船釣りをした時に嵐で遭難、インチコム英語版島で救助され帰還したが、助かるまで溺れかけて衰弱したことが死因とされる。妃シビラとの間に子供はなく、弟のデイヴィッド1世が王位を継いだ[5][7]

脚注

  1. ^ 森、P54、松村、P13。
  2. ^ a b トランター、P61。
  3. ^ 森、P54 - P55、トランター、P62 - P63、松村、P13 - P14。
  4. ^ 森、P55。
  5. ^ a b c 松村、P14。
  6. ^ 森、P56 - P57。
  7. ^ 森、P57、トランター、P64 - P65。

参考文献

  • 森護『スコットランド王室史話』大修館書店、1988年。
  • ナイジェル・トランター著、杉本優訳『スコットランド物語』大修館書店、1997年。
  • 松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。

関連項目




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