ヘミエンジンとモパー、「フォワード・ルック」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:58 UTC 版)
「クライスラー」の記事における「ヘミエンジンとモパー、「フォワード・ルック」」の解説
1951年モデルで、当時アメリカ製量産車では先例のほとんどなかった半球型燃焼室を持つ「ヘミエンジン」と呼ばれるV型8気筒高性能エンジンを導入し、NASCARなどのアメリカ国内のモータースポーツに積極的に参加。マッスルカーの流行につれ、これらの車はMopar(モパー/モゥパー)の愛称で親しまれ、クライスラーブランドの高性能なイメージを市場に植えつけることに成功した。 さらに、ボディデザインについても従前は上級車のクライスラーやデソートでも、中級のダッジ、大衆車のプリムスとパネル共用され、全体構造も居住性優先の実用堅実志向であったところ、1955年モデル以降は自社デザインチーフのバージル・エクスナーの主導による流麗なデザイン(エクスナー自身により「フォワード・ルック」と称された)が積極採用されるようになり、従前アメリカ自動車業界のデザイントレンドを主導してきたGMにも脅威となって影響を与えるほどに、スタイリッシュなモデルを続々と投入した。 またこの頃は、アメリカ経済が絶頂期にあり年々販売台数が伸びていたことや、輸入車との販売競争もほとんど存在しなかったもあり、テールフィンがつき、高馬力エンジンを積んだ利幅の大きい大型車(フルサイズ)が人気を博し、高性能な大型車が得意なクライスラーにとっての絶頂期でもあった。クライスラー系各車のデザイン尖鋭化は、エクスナーのバロック趣味が強まって普遍性から遠ざかり始めても1961年モデルまで続き、エクスナーが心臓発作で一時休職したのを機に彼が更迭されたことで、ようやくデザインの穏健路線への変更が為された。
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