プロフィール・作風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 01:31 UTC 版)
「石田敦子 (漫画家)」の記事における「プロフィール・作風」の解説
高校1年生当時、安彦良和が描いたイラストが表紙になっていた『アニメージュ』を書店で見たことをきっかけにして、アニメ業界を志す。高校卒業後は福祉関係の専門学校に入学したが4か月で中退し、1983年1月にアニメ制作会社カナメプロダクションへ入社。アニメーターの金田伊功は憧れの存在で、カナメプロダクションではいのまたむつみに影響を受けたと語る。 1988年、カナメプロダクションが倒産する約半年前に退職して、フリーランスへ転向。作画監督は『伝説の勇者ダ・ガーン』、キャラクターデザインは『勇者特急マイトガイン』がそれぞれ初担当作品。『勇者特急マイトガイン』の仕事で注目され、アニメ雑誌で特集を組まれる人気アニメーターになった。 アニメーション監督としても知られるアニメーターの大張正己は、元夫。南町奉行所を退職した大張の新たな拠点「スタジオG-1」の立ち上げにも参加しており、そこで共に数作品の作画に関わっていた。大張との離婚の経緯は単行本『りこん猫』に記されているが、執筆当時は彼の名前や顔などを出して良いものかと悩み、離婚済みの大張に「大丈夫だろうか?」と相談したところ「別に問題ないよ」とあっさり返されたため、逆に石田の方が拍子抜けしてしまったというエピソードがある(作中では「O君」とイニシャル表記になっている)。 プロ野球球団の広島東洋カープのファンで、野球に博識な伊集院光を神格化している。代表作の1つ『球場ラヴァーズ』が縁で、2013年8月28日にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で始球式を行っている。 2000年以降はアニメーターとしての一線からほぼ退いており、漫画家としての活躍が目覚ましい。漫画家としては1980年代以前の少女漫画の影響が強く、ざっくりとした荒い描線と、リリカルで重たいストーリーが強い特徴となっている。
※この「プロフィール・作風」の解説は、「石田敦子 (漫画家)」の解説の一部です。
「プロフィール・作風」を含む「石田敦子 (漫画家)」の記事については、「石田敦子 (漫画家)」の概要を参照ください。
- プロフィール・作風のページへのリンク