プランタン甲子園時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:52 UTC 版)
「コロワ甲子園」の記事における「プランタン甲子園時代」の解説
1981年、甲陽学院高等学校跡地にダイエーがプランタン甲子園(当時仮称)を建設することを発表したのが始まりである。 発表してから長らく地元関係者と調整を重ね、1986年5月に三条申請を行い商業活動調整協議会で認可されたため、そのまま建設開始になるかと思われたが、地元住民との交通環境問題を巡り意見が対立した関係で調整が難航となり大幅に遅れ、1990年11月2日に起工式を行い着工した。 1993年6月17日に開業。デパートメントストアとは何かと原点に戻り、カジュアルデパートをコンセプトに21世紀に備えた新たな百貨店業界を構想するための実験店であった。初年度の売上げ目標は180億円。運営はダイエーグループ全額出資で設立した子会社プランタンデパート甲子園が行った。 なお、日本で出店したプランタンはこのプランタン甲子園が最後の店舗となっている。建物は、三和銀行(現:三菱UFJ銀行)系列の東洋不動産が受注し、アトリエ・エイティエイト、大林組等が工事を手がけた。 地下2階食料品売り場の集中レジにはレーンごとにベルトコンベアーが設けられ、客自らがコンベアー上に商品(かご?)を並べ、レジ係が商品をスキャンするとレジ先二手分かれたレーン先のサッカー台にて金属ローラーを滑り下りた商品を客自らが袋詰めした。ダイエー甲子園店時代もしばらく使用されていたが、のちに国内で一般的なレジに変更された。
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