フランツ・ジョーゼフ・スティグラー
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「デュケインのスパイ網」の記事における「フランツ・ジョーゼフ・スティグラー」の解説
フランツ・ジョーゼフ・スティグラー(Franz Joseph Stigler)は1931年に渡米し、1939年に市民権を取得した。彼は乗組員兼製パン責任者(chief baker)として様々な船舶に勤務し、最後の職場は海軍に接収される直前の客船アメリカ号だった。彼はアメリカ号の精肉責任者だったアーウィン・シーグラーと共に連絡員として活動し、ドイツ本国のエージェントと在米エージェントの連絡確保を支援した。彼はまた、ドイツ側との通信を強化するべくアメリカにてアマチュア無線家を募集しようと試みていた。パナマ運河の防衛状況を調査していたエージェントの1人でもある。 1941年1月、スティグラーはセボルドに対してウィンストン・チャーチル英首相がハリファックス卿と共に戦艦キング・ジョージ5世でアメリカへ向かっているという情報をドイツ本国へ報告するように求めている。 スティグラーは有罪判決の後、スパイ法違反について16年の懲役を課されると共に、外国代理人登録法違反について同時に2年の懲役が課された。
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