フランスでの連続テロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:42 UTC 版)
「カルロス (テロリスト)」の記事における「フランスでの連続テロ」の解説
1981年9月4日、レバノンのベイルートで駐レバノンフランス大使ルイ・ドラマール (Louis Delamare) が公邸の近くで襲撃され死亡した。この時の襲撃犯はシリア情報部の工作員であったことが後にわかっている。彼はPLOのアラファト議長とフランス外相の会談をシリア代表抜きで行おうとしており、そのことでシリア側の怒りを買い暗殺されたのである。シリアはさらなるテロを企てるため、カルロスにパリ8区の新聞社「アル=ワタン・アル=アラビー」の社屋爆破及び編集長アブ・ザハルの暗殺を依頼する。この「アル=ワタン・アル=アラビー」紙はシリア反体制派系の新聞社であり、シリアと敵対するイラクの情報部から資金提供を受けていたとされる。1982年2月16日、依頼を受けたカルロスの協力者2名がパリで編集部爆破を試みるが未遂に終わった。 その後逮捕された仲間の釈放を求め連続テロを予告。1982年3月29日釈放要求に反対したシラク市長が乗る予定であったトゥールーズ行き急行列車キャピトル号を爆破 (fr)。この2週間後にはレバノン・ベイルートでフランス大使館の暗号解読係が妊娠中の妻とともに射殺された。1982年4月22日には再度「アル=ワタン・アル=アラビー」紙編集部爆破を決行 (fr)。1983年12月31日には、タン=レルミタージュとマルセイユ・サン・シャルル駅間のTGV車内で決行。これら一連のテロでいずれも多数の死傷者を出す大惨事となった。1984年からはダマスカスに潜伏。シリア空軍情報部の指令でパリに亡命しているムスリム同胞団幹部の暗殺未遂などに関与した。
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