フランスで塹壕戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「フランスで塹壕戦」の解説
1915年1月13日に第124歩兵連隊に復帰した。この頃から、ドイツ軍もフランス軍も、自分から攻撃するより相手が攻撃してきたところを返り討ちにする方が打撃を与えやすいと判断して、大規模な攻撃には出なくなった。そのため、西部戦線は、塹壕戦による消耗戦の様相を呈していた。第124歩兵連隊もアルゴンヌの森(fr)の西部で塹壕戦を展開していた。ロンメルは、第2大隊隷下の第9中隊長に任じられた。 ロンメルは、中隊を率いて匍匐前進しながらフランス軍の築いた有刺鉄線の鉄条網を隙間を通り抜けて進み、フランス軍主陣地に突入し、掩蔽部4か所を占領した。取り戻そうと襲撃してきたフランス軍の反撃を一度は退けたが、結局、新しい攻撃を受けるのを避けるため、自軍の陣地に後退するのを余儀なくされた。しかし、ロンメルは、その後退を12人足らずの損害で達成した。ロンメルは、この際の勇戦ぶりを評価されて、1915年3月22日に一級鉄十字章を授与された。第124歩兵連隊の中尉・少尉階級の者の中では、初めての受章だった。 第124歩兵連隊は、その後もアルゴンヌに留まったままフランス軍と消耗戦を続けた。7月にロンメルは向こう脛に砲弾の破片を受け、二度目の負傷をした。
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