フランスでの軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:16 UTC 版)
「ピーター・レイシ」の記事における「フランスでの軍歴」の解説
リムリックで降伏した後、初代ルーカン伯爵パトリック・サースフィールド(英語版)の軍勢とともにアイルランドを離れ、1692年1月にブレストに上陸した後、ナントでフランスのアイルランド人旅団(英語版)に軍旗手(英語版)として入隊した。このとき、父と2人の兄弟も同時にアイルランドを離れてフランス軍に入隊したという。その後、ピーター・レイシは旅団の一員としてピエモンテに行軍、ニコラ・カティナ侯爵の軍勢と合流して1693年から1696年までのイタリア戦役に参加、1693年10月4日のマルサリーアの戦いにも参戦した。1697年には旅団とともにライン川流域に向かったが、レイスウェイク条約により大同盟戦争が終結したためアイルランド人旅団も一時解散された。大同盟戦争ではハンガリーで戦ったが、神聖ローマ帝国軍の軍職に失望したためシャルル・ウジェーヌ・ド・クロイ(英語版)公の下でポーランド軍の中尉になり、そこでロシアのツァーリピョートル1世によってロシア軍に雇われる外国人士官100人の1人に選出され、ロバート・ブルース(英語版)大佐の歩兵連隊に入った。
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