ファミリーコンピュータ発売以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:53 UTC 版)
「ハル研究所」の記事における「ファミリーコンピュータ発売以後」の解説
1982年、アルバイト従業員だった岩田が大学を卒業して正社員となり、1983年に任天堂からファミリーコンピュータが発売される。ハル研究所の出資会社が任天堂と取引していた関係から、ファミコン市場にも早くから参入した。参入第1作は『ジャウスト』だったが、諸般の事情で任天堂から発売されることはなく、1984年2月に任天堂から発売された『ピンボール』がファミコンでの初リリース作品となった。同年に任天堂から出資を受けてから以後は同社のセカンドパーティーとして、任天堂ブランドで発売された『ゴルフ』『マッハライダー』『バルーンファイト』『F1レース』の開発に携わった。 1980年代中期以降、「MSXをMacintoshにする」という触れ込みで、MSX2にGUIと日本語FEPを用意した統合環境である「HALNOTE」を開発するがほとんど売れなかった。この後継版はアスキーから「MSXView」として発売、MSX最後のマシンである松下電器「FS-A1GT」では標準搭載され正式にMSXturboRのGUI環境として認められたほか、HALNOTEの日本語FEPはソニーのMSXマシンに標準採用された。また、ソニーのMSX2+マシンに標準添付されたグラフィックツールの開発も担当した。このように、HALNOTEの遺産は新世代のMSXの基本アプリケーションを構成したが、その後MSXの市場が消滅したため報われることはなかった。
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