ピクチャレスクとランドスケープ理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 07:59 UTC 版)
「ユーヴドール・プライス」の記事における「ピクチャレスクとランドスケープ理論」の解説
プライスの『ピクチャレスク論』と同じ年に出版された『風景』という詩の著者であり、隣人でもあったリチャード・ペイン・ナイトとともにその考えを発展させた。「ピクチャレスク」を風景理論として描いたのである。プライスの論文やナイトの詩のはるか前にしかしながらピクチャレスクは18世紀初頭のフランスにおいて「画家のスタイルにおいて」という意味で用いられており、アレクサンダー・ポープは1712年の「カーリルへの書簡」においてこれを英語圏に持ち込んだのだった。バージェットの『文学研究』(1879)で「美と崇高と壮麗とは異なる特質である」と定義される前には英語圏の著作者によって様々な意味においてこれは用いられていたのである 。 プライスにとって、ピクチャレスクとは、美と崇高のあいだに位置するより特定的なものとして定義された。実践的な適用においてはこれは古い木立やでこぼこ道、質感のある坂道などで、ランスロット・「ケイパビリティ」・ブラウンの風景とは対極にあるものであり、ブラウンの風景が捨て去ったものでもあると言える。プライスは古典的でシンメトリーな「美」という概念にも異を唱え、自然のあまり形式主義的でなく、非シンメトリー的な特質についても論じている。 プライスの論は芸術や文学の領域でも論じられ、たとえばジェーン・オースティングの『ノセンジャー修道院』ではパロディー化された。プライスは補強材料を付加しながら『ピクチャレスク論』をたびたび重版し、ハンフリー・レプトンのランドスケープをめぐって公的な議論へと入っていく。
※この「ピクチャレスクとランドスケープ理論」の解説は、「ユーヴドール・プライス」の解説の一部です。
「ピクチャレスクとランドスケープ理論」を含む「ユーヴドール・プライス」の記事については、「ユーヴドール・プライス」の概要を参照ください。
- ピクチャレスクとランドスケープ理論のページへのリンク