ヒロインの選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 23:29 UTC 版)
「大脱獄 (1975年の映画)」の記事における「ヒロインの選定」の解説
1975年の東映の正月映画だった高倉主演の『日本任侠道 激突篇』と高倉が出演したアメリカ映画『ザ・ヤクザ』が両方興行で大惨敗を喫し、高倉がドル箱スターとしての一時の威光を失っていたことから、本作は高倉の再起作、本作の成否は今後の高倉の行末を握る、まともな数字を出せなければ、高倉健一本で勝負することはきつくなるなどと言われた。東映は高倉の人気挽回を目指し、話題を煽ろうと当時小坂一也を巡る不倫騒動で最も芸能界を賑わせていた十朱幸代と松坂慶子をWで高倉をめぐる二人の女に起用しようと画策した。しかし脚本の石井がヒロイン設定を〈旅の中でふと生まれる男と女のふれあい〉のような設定に変えてしまい、十朱、松坂ともそのイメージでなく、木の実ナナとりりィ(東映児童劇団出身)などが候補に挙がり、木の実をヒロインに選んだ。十朱か松坂との共演なら、高倉はそれまでやったことのない激しい濡れ場をやるのではないかと報道された。高倉は北海道でのロケ中『キネマ旬報』で高田純のインタビューを受け「『ラストタンゴ・イン・パリ』みたいなホンなら喜んで裸になります。ファックシーンもバカバカやりますよ」と答えた。同じ年の『神戸国際ギャング』で高倉が生涯唯一とされるファックシーンをやったのは、この同じ話を当時のマスメディアに話し、これを伝え聞いた『神戸国際ギャング』の監督・田中登に「ぜひ、やってくれませんか」と頼まれ、絵沢萠子とファックシーンを演じたものであった。 木の実は初めての東映映画出演で緊張した。木の実は北海道でのロケ中にミュージカル『ショーガール』でゴールデン・アロー賞新人賞を受賞し、高倉がみんなを集めてパーティを開いてくれて「網走番外地」を高倉とデュエットし、すっかり高倉に夢中になったと話している。
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