パーヴェル・チェスノコフによる作曲作品
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「神よ、爾は救を地の中になせり」の記事における「パーヴェル・チェスノコフによる作曲作品」の解説
パーヴェル・チェスノコフがこの祈祷文に作曲を行っている。原曲は教会スラヴ語による無伴奏声楽聖歌である。正教会の聖歌は無伴奏声楽(ア・カペラ)が原則である。 旧ソ連では正教会を含めてあらゆる宗教が弾圧されており、正教会聖歌の作曲・演奏・録音は限定的・例外的に活動を認可された極めて僅かな教会・修道院におけるものを除き禁じられていた。パーヴェル・チェスノコフも聖歌作曲と演奏を禁じられ、世俗音楽の領域に活動を限定することを余儀なくされた。 1912年にチェスノコフにより作曲された合唱作品である『神よ、爾は救を地の中になせり』は、数年後のロシア革命以降ソ連政府によって世俗音楽への専念を強制されたチェスノコフにとり、最も後につくられた聖歌の一つであった。初演をチェスノコフは聞くことは無かったが、彼の子供たちがチェスノコフの永眠後にその機会を得ている。『神よ、爾は救を地の中になせり』は初版は1913年にJ. Fischer and Bro.により出版されたが、曲が知られるようになると教会スラヴ語歌唱・英語歌唱による多くの編曲版が作られることとなった。スコアは六声部もしくは八声部(SATTBBもしくはSSAATTBB)に構成されている。本曲はキエフ調の旋律に拠った領聖詞であり、第73聖詠12節(詩篇第74篇12節)に歌詞の起源をもつ。 また、吹奏楽に編曲された版も存在しており、こちらの版も西欧でも広く演奏される曲となっている。
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