パーム時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 05:10 UTC 版)
「日本基督教団新潟教会」の記事における「パーム時代」の解説
1874年(明治7年)5月にT・A・パーム夫妻がスコットランドより来日する。パームは長岡藩士陶山昶から日本語を学ぶ。1875年(明治8年)1月に生まれて間もない娘と夫人が亡くなる。この悲劇をきっかけに伝道がもっとも困難と言われていた新潟に伝道することを決めた。 1875年(明治8年)4月にパームは聖公会の司祭ジョン・パイパーと共に新潟に行く。パームは湊町に診療所を開設し、8年半にわたり医療活動と宣教活動を行った。迫害で宣教を断念した押川方義が通訳として加わり宣教を開始する。1876年(明治9年)、吉田亀太郎ら5人が洗礼を受けたことで、新潟公会(新潟教会)が始まる。1877年より、佐渡、亀田、水原、葛塚、中条、新発田、沼垂、長岡などの一円に伝道が開始される。パーム、押川、吉田らは、特に新潟、中条、村上など13か所を定期的に巡回し、伝道を続ける。その結果、100人前後の信徒が誕生した。1881年(明治14年)に会員73人をもって、教会を組織した。このように、パームを中心とした信徒の集団をパーム・バンドとも言う。
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