日本基督教団東中通教会とは? わかりやすく解説

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日本基督教団東中通教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 06:29 UTC 版)

日本基督教団東中通教会

東中通教会(ひがしなかどおりきょうかい)は、新潟市中央区にある、日本基督教団所属の長老教会系の教会である。

所在地

・〒951-8116 新潟県新潟市中央区東中通1−86

北緯37度55分13.5秒 東経139度02分18秒 / 北緯37.920417度 東経139.03833度 / 37.920417; 139.03833 (日本基督教団東中通教会)座標: 北緯37度55分13.5秒 東経139度02分18秒 / 北緯37.920417度 東経139.03833度 / 37.920417; 139.03833 (日本基督教団東中通教会)

歴史

パーム時代

1874年(明治7年)5月にT・A・パーム夫妻がスコットランドより来日する。病気で妻を失ったパームは単身で1875年(明治8年)4月に聖公会司祭ジョン・パイパーと共に新潟での宣教のために出発する。

パームは新潟市湊町に診療所を開設する。それ以降8年半にわたり、雨森信成押川方義を通訳として宣教を開始する。1876年(明治9年)、吉田亀太郎ら5人が洗礼を受け、押川の伝道の協力者になる。

1877年(明治10年)より、パーム、押川、吉田らは、特に新潟、中条、村上など13か所を定期的に巡回し、伝道を続ける。その結果、100人前後の信徒が誕生した[1]。しかし、パーム時代には特定の教派と結びつかず、一度も正式に教会として組織化されなかったといわれる。これをパーム・バンドともいう[2]

信仰

1941年(昭和16年)日本基督教団が成立し、東中通教会は、これに加わった。東中通教会は、聖書を唯一の正典とし、三位一体の神を信じ、イエス・キリストをまことの救い主として信じ、告白する。

宗教改革以来の改革長老教会の伝統に立つ、福音主義的なプロテスタント教会。一人ひとりが主イエス・キリストの弟子として主に従う教会形成を目指す。[3]

礼拝は、毎週日曜日にささげられている。いずれも初めての者も、信徒でない者も参加できる。[4]

・早朝礼拝(午前8時から8時半)仕事や家庭の都合で、午前10時半からの主日礼拝に参加できない者、高校生から年配者まで少人数

教会学校(午前9時から9時半)幼稚科、少中学科、高校生を対象

・主日礼拝(午前10時半から11時半頃)子どもから年配者まで参加。出席者数約70名。

脚注

  1. ^ 守部(2009年)71-74ページ
  2. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』P.1154
  3. ^ 教会紹介”. 東中通教会. 2023年8月8日閲覧。
  4. ^ 東中通教会”. 東中通教会. 2023年8月8日閲覧。

参考文献

外部リンク




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