青山準二郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 05:13 UTC 版)
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あおやま じゅんじろう
青山 準二郎 |
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東京一致神学校の学生時代の青山(29歳)
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生誕 | 1853年10月5日![]() |
死没 | 没年不詳![]() |
国籍 | ![]() |
出身校 | 東京一致神学校 |
職業 | 牧師 |
青山 準二郎(あおやま じゅんじろう、嘉永6年9月3日〈1853年10月5日〉 - 没年不詳)は、明治時代に活躍した長老派系の日本基督教会の牧師。北海道の宣教で活躍した。
生涯
越後国村上藩士中山湛斉の3男として生まれる。1878年(明治11年)エディンバラ医療宣教会宣教師T・A・パームと押川方義に出会いキリスト教に回心する。1880年(明治13年)3月にパームより洗礼を受ける。[1][注釈 1]
パームの薫陶を受けて、伝道者になることを決心して、1883年(明治16年)に上京し、東京府築地の東京一致神学校に入学する。上京して間もない5月には第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として参加し、植村正久や内村鑑三と一緒に写真と取っている。
1886年(明治19年)より、津和野(現・島根県鹿足郡津和野町)、柳川(現・福岡県柳川市)で牧会をしたのち、1898年(明治31年)より北海道の滝川で伝道を始める。その結果滝川教会が設立される。
滝川では冬期学校を開校して、江部乙町(現・滝川市江部乙)、新十津川(現・新十津川町)、歌志内(現・空知郡歌志内町)、音江(現・深川市音江)などへ伝道し、1921年(大正10年)これまで無牧でしばしば応援して支えてきた樺戸郡浦臼村(現・浦臼町)の聖園教会の牧師に就任する。[注釈 2][注釈 3]
脚注
注釈
出典
参考文献
一般書
- 高橋昌郎 『明治のキリスト教』 吉川弘文館、2003年。ISBN 4-642-03752-7。
- 守部喜雅 『日本宣教の夜明け』 いのちのことば社、2009年。 ISBN 978-4-264-02638-9。
事典
- 『日本キリスト教歴史大事典』 教文館、1988年。
ISBN 9784764240056。
- 福島恒雄 「青山準二郎」 『日本キリスト教歴史大事典』、1988年、23頁。
- 金田隆一 「聖園教会」 『日本キリスト教歴史大事典』、1988年、739頁。
- 本井康博 「パーム」 『日本キリスト教歴史大事典』、1988年、1185頁。
- 『長老・改革教会来日宣教師事典』 新教出版社、2003年。
ISBN 4-400-22740-5。
- 大西晴樹 「パーム」 『長老・改革教会来日宣教師事典』、2003年、305-318頁。
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