パレルモ・ビエホ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 01:21 UTC 版)
「パレルモ (ブエノスアイレス)」の記事における「パレルモ・ビエホ」の解説
その名が示す通り、「パレルモ・ビエホ」(古パレルモ)はパレルモ地区内でもっとも古い小地区である。サンタフェ通り南部からコルドバ通りまで、またドレーゴ通り東部からコロネル・ディアス通りまでがパレルモ・ビエホの範囲である。この小地区はパレルモ・ビエホ広場が中心となっている。建物は古いコロニアル・リバイバル建築様式(英語版)を反映させ、現代的な要素を組み合わせて「再生利用」されていることが多い。2011年には、旧GIOLワイナリーの建物を改装した国立科学技術研究評議会(CONICET)の新本部が完成し、近年における再生利用の傾向の顕著な例となっている。 かつてこの小地区にはホルヘ・ルイス・ボルヘス(作家・小説家)やチェ・ゲバラ(革命家)などの著名人が住み、実際にボルヘスはこの静かな区域で詩を書いた。ボルヘスの詩「Fundacion mitica de Buenos Aires」(ブエノスアイレス設立神話)は、彼が幼少時代を過ごした家に隣接するありふれた広場(グアテマラ通り、セラーノ通り、パラグアイ通り、グルチャガ通りと接している)を、観光客に人気のランドマークにした。この小地区は歴史的に居住地区であり、ポーランド系、ドイツ系(英語版)、ウクライナ系、レバノン系の移民コミュニティ、また古いスペイン系(英語版)家族やイタリア系家族に人気がある。彼らの伝統は地元のレストラン、教会、学校、文化センターに反映されている。
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