パルマ公女ツィタとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:29 UTC 版)
「カール1世 (オーストリア皇帝)」の記事における「パルマ公女ツィタとの結婚」の解説
マリア・テレサ・フォン・ポルトゥガルの用意周到な計画によって、1909年にツィタ・フォン・ブルボン=パルマと出会う。マリア・テレサは亡き祖父カール・ルートヴィヒ大公の3度目の妻で、すなわちカールの義理の祖母にあたり、さらにツィタにとっては母の妹であった。カールとツィタはこれ以降、宮廷内のほとんどの人間に気付かれることなく親密な交際をするようになった。 将来の皇帝となるであろうカールに、フランツ・ヨーゼフ1世は自身の孫娘エリーザベト・フランツィスカを嫁がせようと考えたが、血縁関係が近すぎることを心配するカールの母マリア・ヨーゼファの反対に遭った。そこでフランツ・ヨーゼフ1世は、今度はオルレアン家の血を引くデンマーク王女マルグレーテをカールと結婚させようと考えた。 1910年秋、カールはフランツ・ヨーゼフ1世に呼び出され、そろそろ自分に合った結婚相手を決定するように命令された。結婚相手とする女性には、「カトリック信者であること」「現在または過去において統治に与った君主の子女」という2つの条件が付けられていた。1911年5月中旬、カールはツィタに求婚し、婚約に至った。マリア・ヨーゼファから婚約の報告を受けたフランツ・ヨーゼフ1世は、カールを本気でデンマーク王女と結婚させようと考えており、ツィタと真剣に交際していることを知らなかったため、大いに驚いた。しかし旧パルマ公国の公女でカトリック信者であるツィタに老帝は納得し、この婚約を祝福した。 1911年6月24日、ローマ教皇ピウス10世はツィタに「私はあなたの未来の夫を祝福します。彼は次のオーストリア皇帝になるでしょう」と言った。ツィタらが次の皇帝はフランツ・フェルディナント大公であると訂正しても、ピウス10世は次の皇帝はカールであると繰り返したという。同年10月21日、シュヴァルツアウ(ドイツ語版)の城館において、カールとツィタの結婚式が挙行された。
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