パリ、失意と自殺の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 01:51 UTC 版)
「メアリ・ウルストンクラフト」の記事における「パリ、失意と自殺の試み」の解説
メアリ・ウルストンクラフトはスイス生まれでイギリスで活躍中のロマン主義の画家ヘンリー・フューズリ(Henry Fuseli; 元はドイツ語でヨーハン・ハインリヒ・フュースリー Johann Heinrich Füssli)に恋をするが、妻帯者であるフューズリへの思いを断ち切るためと、目下進行中のフランス革命の様子を観察するために、単身イギリスを去りフランスの首都パリへ渡る。 1793年、パリでアメリカ人ギルバート・イムレイ(Gilbert Imlay)と恋に落ちて同棲生活を始めるが、自分が経済的に支えていた父親や多くの兄弟姉妹への負担を避けるため、敢えて結婚は選択せず。君主国家イギリスの女を攻撃しかねない革命主義者たちから身を守るため、パリではイムレイ夫人(Mrs. Imlay)の名を自称。 2人の間に娘が生まれ、ファニー(Fanny)と名づける。イムレイはスウェーデンとノルウェーでの事業の代理者を求め、内縁の妻であるメアリがその役割を引き受けてパリを発つ。北欧でメアリが受け取ったイムレイの手紙はひどく冷淡なものであり、イムレイに見捨てられたことを覚る。 1795年10月、ロンドンに帰ったメアリは激しい雨が降る晩、ロンドン西郊パトニー橋(Putney Bridge)からテムズ川へと投身自殺をはかるが救助される。
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