パウル・カラーとは? わかりやすく解説

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カラー【Paul Karrer】

読み方:からー

[1889〜1971]スイス化学者。カロテノイド・フラボン類の構造研究しビタミンAビタミンB2ビタミンE合成成功した1937年ノーベル化学賞受賞。著「有機化学」。


パウル・カラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 16:35 UTC 版)

Paul Karrer
パウル・カラー
生誕 (1889-04-21) 1889年4月21日
ロシア帝国 モスクワ
死没 1971年6月18日(1971-06-18)(82歳)
スイス チューリッヒ
国籍 スイス
研究機関 チューリッヒ大学
出身校 チューリッヒ大学
影響を
与えた人物
宮道悦男
石井輝司
主な受賞歴 ノーベル化学賞(1937)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者
受賞年:1937年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:カロテノイド類、フラビン類およびビタミンA、B2の研究

パウル・カラー(Paul Karrer, 1889年4月21日1971年6月18日)はロシアモスクワ生まれのスイス人有機化学者カロテノイドビタミンに関する研究で、1937年ノーベル化学賞を受賞した。

来歴

1892年に両親と共にスイスに戻りヴィルデックドイツ語版英語版で教育を受けたあと、1908年、レンツブルクグラマースクールに入学した。その後アルフレート・ヴェルナーのもとチューリッヒ大学化学を学び、1911年に博士号を取得した。フランクフルト・アム・インのゲオルク・シュパイアー・ハウスでパウル・エールリヒと共に働き、1919年にはチューリッヒ大学の教授職を得た。

チューリッヒ大学は1959年に彼の70歳の誕生日を記念してパウル・カラー記念講座を創設した。教授時代の教え子に大正製薬2代目社長の石井輝司がいる。

チューリッヒで没。

業績

彼の最初の研究対象は金属錯体であったが、彼を有名にしたのは植物色素、なかでも黄色いカロテノイドの研究であった。カロテノイドの構造から、これらの化合物が生物で代謝されてビタミンA(レチノイド)となることを明らかにした。この研究はビタミンの前駆体が初めて発見された例として知られる。さらに、ビタミンC(アスコルビン酸)の構造を明らかにし、ビタミンB2リボフラビン)とビタミンE(トコフェロール)の構造解明にも寄与している。

脚注

出典

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