バーンムアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/03 08:57 UTC 版)
Jump to navigation Jump to searchバーンムアン タイ語: ขุนบาลเมือง |
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スコータイ王朝第2代王 | |
在位 | 1238年 - 1279年 |
王朝 | スコータイ王朝 |
父 | シーインタラーティット |
子女 | グワナムトゥム |
バーンムアン王(タイ語: ขุนบาลเมือง、英語: Ban Muang)は、タイの古代王朝、スコータイ王朝の2代目の王。建国者シー・インタラーティットの第二子[1]。現在のスコータイ県を中心とする地域を統治した。
生没年については詳しい記録は残っておらず、父王シー・インタラーティットから政権を引き継いだ年齢さえ分かっていない。ラームカムヘーン大王碑文には当時王子であった弟ラームカムヘーンに看病されるバーンムアン王の姿が描かれている。
脚注
- ^ ロン・サヤマナン『タイの歴史』(二村龍男訳, 近藤出版社, 1977年6月)、44頁
関連項目
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バーン・ムアン (タイの新聞)
(バーン・ムアン から転送)
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『バーン・ムアン』(บ้านเมือง)は、タイのタイ語日刊新聞。1972年5月23日 に創刊。ナワギット・バーン・ムアン社(นวกิจบ้านเมือง)が発行。
概要
日刊大衆紙。社のロゴは赤で『バーン・ムアン』と書かれている。 バーンムアン紙は、1972年5月23日にウィヂャーン・プックピブーン(วิจารณ์ ภุกพิบูลย์)社主に、マーナ・プレーパン(มานะ แพร่พันธุ์)を編集長にして、バーンムアン社によって創設された。初期は16面、オフセット印刷の白黒であり、一部1バーツであった。
現在、紙面を改良し、オフセットカラー印刷24面、10バーツとなった。記事は、読者の興味に沿うように一般、スポーツ、芸能の三部に分かれる。2000年2月1日から、ナワギット・バーン・ムアン社の委員会がバーンムアン紙を運営することになった。
創刊より約45年後の2016年12月31日に廃刊となることが決定された[1]。それ以後、2017年よりニュース配信サイトサービスだけしかなく提供する。
脚注
- ^ “タイの新聞業界苦境 「バーンムアン」廃刊に”. newsclip.be. (2016年12月2日) 2016年12月2日閲覧。
外部リンク
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固有名詞の分類
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