バッチフラワー療法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:33 UTC 版)
「エドワード・バッチ」の記事における「バッチフラワー療法」の解説
1930年に43歳でバッチは、新たな治療法を探すことを決めた。彼は春から夏にかけて、新しいフラワーレメディを見つけて作った。このレメディには植物とは無関係だが、彼が花のエナジーの様であると言ったものも含まれる。冬になると彼は、患者を無償で治療した。バッチ・フラワーレメディの多くは、彼が1930年代にノーフォークの海沿いの町、クローマーに住んでいた時に考案された。 バッチのフラワーレメディは、医学的研究や科学的手法に拠るよりむしろ、直観的に導き出され、彼が知覚した植物とのサイキックな繋がりに基いていた。彼がネガティブな感情を抱いたときには、その手をさまざまな植物に当てて、もし感情が軽くなったのなら、その感情的問題を癒す力を植物のおかげにしたのだった。彼は、花びらにある露の雫を透る早朝の太陽光が、その花の癒しの力を水へ移すと信じていたので、植物から露の雫を集めては、同量のブランデーでその露を保存して、(使用前にさらに希釈される)マザーティンクチャーを作っていた。後に彼は、集められる露の量が十分でないことに気づいたため、花々を湧き水に浸して、それに日光を透したのだった。 バッチは、病原菌説の立場、臓器や組織の不全、他の既知で実証された病因も認めていたが、どうして、検査しても同じ健康状態に見えるのに、病原体への暴露によってある者は病気になり他の者はそうならないのか、疑問に思っていた。彼は、病気が魂の望みと、人格的な行動や態度との衝突の結果であると仮定していた。バッチによるとこの内なる戦いは、感情の不安定と気力の妨げをもたらし、これが不調和の原因となって身体の病気を引き起こしている。バッチのレメディは、患者の人格の治癒に焦点を当てており、彼はそれが病気の究極的な根本原因であると信じていた。
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