ハンガリーでの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:22 UTC 版)
「ヨーゼフ・ディートリヒ」の記事における「ハンガリーでの戦い」の解説
西部戦線でのドイツ軍の劣勢が動かしがたくなると、ヒトラーはディートリヒと第6SS装甲軍をハンガリーに転出させ、迫り来るソ連軍を相手に大規模攻勢を指示する。いわゆる春の目覚め作戦である。第6SS装甲軍が主力であったが、すでに戦力はすっかり消耗しており、20キロ進軍しただけでソ連軍の反撃にあい、作戦はとん挫した。ソ連軍にブダペストを占領され、ソ連軍はドイツ領ウィーンへの侵攻を窺うようになった。 ヒトラーはディートリヒと第6SS装甲軍の不忠に激怒し、1945年3月27日に自身の名の入った袖章の剥奪を命じた。ディートリヒはこれに激怒し、側近の将校たちに「皆、勲章を小便壺に放り込んで17師団の袖章にすげ替えろ」と悪態を付いたという。総統命令を無視して第6SS装甲軍をオーストリア方面へと転進させる。第6SS装甲軍は追撃してくるソ連軍を振切ってアメリカ軍の前線に到達、1945年5月9日ディートリヒは米軍第36歩兵師団に対し降伏を申し入れ、最後まで総統命令に反抗しながらも結果として多くの部下を救った。このことは戦後も非常に高い評価を受けている。
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