ハビビ時代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 02:05 UTC 版)
スハルトの失脚後、スハルト時代の清算を厳しく要求する諸勢力の機先を制する形で、新大統領ハビビは矢継ぎ早に制度改革を実行した。その政治改革の一環として改正された新政党法にもとづいて、ゴルカルはあらためて政党として再出発することになった。 しかし、1999年の総選挙では、ハビビが率いるゴルカルはスハルト色を払拭することができずに苦戦することになった。結社の自由を大幅に認める新政党法によって新党が族生し、国民の人気はそれらの新党に向かった。 なかでもメガワティ率いる闘争民主党は、世俗的な国民層を中心に支持を集め、この選挙では第1党(支持率33.8%)の地位を獲得した。また、イスラム系の社会団体であるナフダトゥル・ウラマーを支持基盤として発足した民族覚醒党や、その他のイスラム系諸政党も、ムスリムが国民の多数を占める同国で一定の得票率をあげた。 ゴルカル党は、それらの新党に票を奪われて得票率は22.5%に留まり、第2党に転落した。その結果、ハビビは大統領を辞任し、大統領指名選挙では民族覚醒党のアブドゥルラフマン・ワヒドが選出され、ゴルカルは初めて野党に転ずることになった。 なお、この1999年選挙では、ゴルカルはジャワでの支持基盤が脆弱であることが明らかとなるものの、外島、特にハビビのお膝元であるスラウェシ島では圧勝を収めている。
※この「ハビビ時代以降」の解説は、「ゴルカル」の解説の一部です。
「ハビビ時代以降」を含む「ゴルカル」の記事については、「ゴルカル」の概要を参照ください。
- ハビビ時代以降のページへのリンク